【1年間】コンビニいくの禁止してみた!

[この記事は奈良高専Adventcalendar8日目の記事です.]

しなくん繋ぎありがとう!

 

 

 

 

皆さんお久しぶりです!

昨年も参加させていただきました。脱寮女子高専生のおくです。

 

あの時から1年経ちましたが、寮の追い出しのこととかもあって、

だいぶ脱寮者が増えたと思います。

 

脱寮して新生活を始める人の参考になってたらうれしいです🐡

 

 

 

 

今年もみなさんかっこいい記事書いてて、自分もそんな感じの書こうと思ってましたが、やっぱ1周回ってこのタイトルにもどってきました。

 

まじで高専に関係ないこと書いていくので、変なことしているやついるんだなーって感じでさら読んでってください、、

 

 

 

 

 

 

それではタイトルロゴから本日のメインスタート!!

 



 

 

はじめに

突然ですが皆さん、

 

 

 

 

 最後にコンビニに行ったのはいつですか?

 

 

 

 

タイトル見てわかる通り、今回の記事の一大テーマであるコンビニ。

 

2週間前、3日前、今日、、など

おそらくほとんどの人が、日ごろから何かしらの用事で、コンビニにお世話になっていると思います。

 

 

 

下記は日本マーケティングリサーチ機構の調査で分かったコンビニの利用頻度についてです。

"「 あなたはどのくらいの頻度でコンビニを利用しますか。」に対し、「月に1回程度(14.36%)」「週に1回程度(21.16%)」「週に2~3回程度(34.29%)」「ほぼ毎日(23.63%)」「ほとんど利用しない(6.56%)」と回答。"

(引用元:日本マーケティングリサーチ機構)

 

 

これをみると約9割の人が1ヶ月以内にコンビニに行っているようですね、

 

 

自分も禁止生活を始める前は、週1くらいで通っていた気がする、、

 

 

皆さんはどのくらいの層にいましたか???

 

 

ーーーー

 

 

さてさて、予備知識をいれたところで、、

 

 

私が毎年やっている縛り生活の2022verコンビニ禁止生活について以下にまとめていこうと思います!!

(同居人にコンビニ禁止しただけで記事書けんのか、と言われましたが、全力で書かせていただきます!)

 

 

 

目次は以下の通り

ざっと結果だけ知りたい人は飛ばしてってください~。

 

 

 

 

コンビニ禁止生活の始まり

私は高専に入ってから、1年間ごとに何かしらを禁止する生活を送っています。

 

 

 

例えば、

 

1年間、カップ麺を食べなかったり

1年間、ポテチを禁止してみたり。

 

 

 

節約と健康のために悪そうなものを排除していったんです。

1年間禁止するとその後も食べなくなって、

良いことしかないんで結構はまっていました。

 

 

 

しかし、そんな禁止生活4年目にマンネリした去年の1月。

 

 

 

「今年は何かもっときついことしたい!」

 

 

 

と、少しのドM心が魔を刺したのです。

 

 

 

 

禁止候補として考えたのは、以下の4つ

 

 

・お菓子禁止

・小麦禁止

・自販機禁止

・コンビニ禁止

 

 

まず初めに検討したのは、尊敬する部活の先輩がやっていた、お菓子禁止生活。

難易度的にはちょうどいい。少しきつめで、健康によくて。

 

 

けど、先輩の二番煎じだな、と。

あとネットを見るとダイエットのためお菓子を禁止している人、結構いる。

 

 

なにやら*1新規性に欠けるので、却下とさせていただきました。

 

 

 

 

次に検討したのは、小麦1年禁止。

 

実はこれ、コロナ禍で自粛していた時に1ヶ月ほどやっていて、

1ヶ月だけでもほんとお肌つやつやになれました。

 

 

だから1年やったらもっときれいになるんじゃないか、と思ったんですが、、、

 

 

 

ーーパンが、好きすぎる、、。

 

 

 

休日に家で焼いちゃうくらいパンが大好きなんです。

パン写真覚えてたら入れる。

 

よって小麦を禁止することによって、パンを作れない、食べれないことによるストレスがかかりすぎると考えたので、

 

 

 

きつすぎ!却下!!!

 

 

 

 

次、自販機禁止生活。

 

これは案外行けそう。と思いました。

とくに自販機にお世話になっているわけでもないし、

飲みたいものあるんならコンビニにでも行けばいいじゃん。以外に楽、、?

 

ってな感じで、、却下。

 

 

 

そしてこれを考えた後におもいついた、コンビニ禁止生活。

 

難易度的にもいい感じだし、節約にもなって、ちょうどいい!!!

決定!

 

 

ーーってなかんじで2022.1.1から、私のコンビニ禁止生活がスタートしました。

 

 

 

ルール

・自分で何かを購入するのはNG

・他人に買ってもらうのはOK(どうしてもってことがあったので。2.3回買ってもらった)

・郵便物は可

・生協はコンビニではないとする (毎日お昼作るの大変になってきたから許して)

 

 

ってな感じで、少し甘い感じもしますが、それだけコンビニって便利ってことなんです、、

 

 

 

コンビニの種類としては

セブン、ローソン、ファミマ、ミニップ、ヤマザキ

くらいが周りで見かけるので、この5つを禁止。

 

個店舗だけでなく、駅やビルに入っているコンビニももちろんNG。

 

 

 

コンビニに行かないメリット

さていよいよ本題。

まだ期間はあと一ヶ月ほど残ってますが、約1年禁止した今の現状をお話しします。

 

 

①節約になった

 

 以前は、コンビニの新作スイーツが出たりするとすぐに買いにいっちゃう、学校の帰りにふらっと寄っちゃう、夜いきなり思い立ってコンビニに散歩しちゃう、、などのコンビニ通い習慣がありました。

 

 

それらがすべてなくなったので、全体的な ”コンビニ無駄使い金” が圧倒的に減りました。

 

 

 

もちろんアピタとかスーパーはOKなので、お菓子とかを買うことはあるんですが、

なにせスーパーとかって9時-21時の営業時間なもんで、

私が、何か買いたい!って思っているときには、

基本しまっていることが多いんです。

 

 

 

やっぱコンビニの24時間営業って素晴らしい。

夜中とか早朝に働いてくれている人に感謝ですね。

 

 

 

②太らない

 前述の節約同様、余計なものを気軽に買わなくなったので、その分のカロリーはオフされたと考えられます。

 

新作スイーツの糖質、、

ホットスナック類の脂質、、、

 

 

おいしいもんは脂肪と糖で出来ていることを実感しました。

 

(結局スーパーの8枚切り食パン詰め込んでるからTotal痩せたわけではない)

 

 

 

 

コンビニに行かないデメリット

①遠出する時に大変

 

一人でどっか遠くに行ったときに思ったのですが、駅のコンビニってすごく便利で。

 

出先でお昼ご飯どうしようって思ったときに、スーパー行こうにも

なかなか駅から遠くにあったりして厳しかったり、どこかお店に入るには高かったりと、少し難儀でした。

 

 

コンビニを禁止している人は、事前に買っておくなど、計画性を持った旅をするべきですね。

 

 

②流行りにのれない

 

インスタを見ていると新作スイーツ、新作パンなど新商品のコンビニシリーズがよくホームに出てきます。

 

そして友達からは、この新作食べた?とかいう話題も。。

またテレビとかで話題のコンビニシリーズとかやっているのをみると、

 

少し、波に乗れてない疎外感を感じます。

 

もともとコンビニスイーツをよく食べていたのもあり、

ちょっと辛かった。

 

 

③ホットスナックが食べれない

 

かなり私的になるんですが、

わたくし、アメリカンドックがかなり好きで、

それが1年間全く食べれないっていうのが、とても悲しかったです。

 

 

ほかのホットスナック系でいうと唐揚げとかポテトとかあると思うんですが、

それらは比較的お惣菜屋にいけば売っているので、そこで買えば、食べたい欲は解消されるんです。

しかし

 

 

”お惣菜屋に、

アメリカンドックは、

売っていない。”

 

 

コンビニ禁止して初めて気づきました。

 

もし売っていたとしても揚げたてじゃないから買う気にはならない、、

やっぱアメリカンドックはあったかいうちに食べたい、、

 

ってことで個人的ではありますが、ホットスナック食べれない問題は、非常に痛感した点になりました。

ちなみにアメリカンドックはセブンが一番おすすめ。

 

 

 

まとめ

コンビニ禁止、結構つらい、、

もうやらない。。。

 

 

 

来年は何を禁止しよう。

アイディアあったら募集してます。

 

 

 

 

以上、高専に全く関係ない、

高専生によるコンビニ禁止生活でした。

 

 

 

 

 

明日は同級生としてとっても気になる話題なふらいんぐきゃっとさんの記事です!

楽しみにしてます^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他書きたかったネタ軽くまとめてあるからよければ見てね。

note.com

最終日にも投稿したいネタがあるから間に合えば投稿します、、!

 

*1:よく研究発表で聞かれるやつ

頑張りの空回り。下降編

前置き:特に何のまとめもせず、自分の感情綴ってるのでつまらないです。誰かに知ってもらいたかっただけです。

 

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秋です。

 

朝はメロンソーダのような冷たさで

昼間の日差しは痛すぎて

クッキーになれそうな気分です。

 

 

 

 

秋といえば、スポーツの秋ですね。

先日スポーツ大会が1年ぶりに開催されました。

5年生のみんなで出来る最後のスポ大だったので、無事開催されてよかった。

運営の皆さんありがとうございました。

 

 

運営、といえば、

 

 

ここ

高専は4年生が幹部となって学校行事や部活動を運営することがほとんどです。

5年は関わると老害とされ、嫌われる傾向にあると自分では思っています。

 

 

かく私も昨年は4年生で幹部にあたる年でした。

 

 

 

 

そこで私は大きく二つの仕事を持っていました。

 

一つ、部活でのコンテデザイナー。

そしてもう一つ、高専祭の実行委員長、です。

 

この二つは幹部系の中でも結構ハードな方だと自分では思っていて、特に高専祭は学校のみんなが楽しめてはっちゃけれる場なので、大きな責任がかかっていました。

 

 

 

まずは、コンテデザイナーの方からお話ししてみましょう。

 

コンテデザイナーといわれてもどの部活のなんだらって感じですね。

コンテデザイナーというのは、吹奏楽部でマーチングをやる際に、その立ち位置(動き?)とか演出をきめる役職のことです。

 

 

1Moveごと、上から見たときの形や動きのきれいさを考えながら、人の位置を決め、コンテと呼ばれるシートに書いていきます。

 

これがなかなか重労働。

 

 

まず曲を聴きこまなくてはいけない。じゃないと曲にあったコンテはかけないから。

 

そしてもう一つ、私はマーチングのド素人だった。

一応4年生の時点では、入部4年目ですが、コロナのせいで3年の時はほぼやれていないので、実際はマーチングは2年間しかやれておりません。

なのでマーチングコンテの右しかわからない状況。

 

 

でもマーチングが好き、という想いは結構あったので、コンテデザイナーという役職はチャレンジしてみるのにとっても良いものでした。

 

 

3年の三月、ちょうどコロナさんがやってきたころですね。

私は春休み2か月を返上して、死に物狂いでコンテを書いては消し、書いては捨て、書いて監督に見せれば没にされ、という生活をしていました。

 

今考えるとバイトの時間以外は高専祭のことかマーチングのことしか考えていなかったです。あのとき。こわいね。

 

 

そしてなんやかんや、与えられた曲分のコンテはほとんど完成したんです。

 

 

<((((((((辛かったー!))))))))

 

 

辛い中完成されたコンテはもうわが子のようにいとおしくて、早く私の、この作品の未完成が、人が歩くことによって完成される作品になることをみたい!そう思っていたんです。

 

はい。

 

コロナさんです。

 

よく考えてみたらできるわけないんですよ。ころなころなで騒いでる中、マスクをつけずに息を入れながら吹き歩くマーチングなんて。

 

 

亡くなりました。我がコンテ。

 

 

美術作品と違って、採用されなかったらツイッターにでも貼って供養供養~♪というわけにはいかないんです。

 

コンテはあくまでマーチングにおいての序章。

完成までの過程に過ぎないのです。

 

 

なので民衆に見てもらったところで、何の動きも、音も感じられない無機質なコンテは、供養されることはできないのです。

 

 

屍。

 

 

誰にも評価されないまま、だれにも見てもらえないまま、誰の心にも残らないまま、

私の作品は消えていきました。

 

 

 

あーあ。

 

 

 

 

 

さて、当時の私は止まることを知らなかったので、コンテの一つや二つ、ぶち消されたってしょげている暇なんてありません。

 

高専祭はもちろん、インターンや免許合宿に向けた準備など、並行していろいろなことを進めていました。また学業においても上位を保ち続けることで、自分をどんどん追い込んでいっていました。

 

 

 

なんやかんや乗り越えて、4年生8月になりました。

夏はインターンに免許合宿(ぼっち)、定期演奏会の準備(ころなで中止になった)に加え、

コロナ禍で嫌気がさした寮とおさらばするため、物件探し、引っ越し準備などをごりごり進めていました。

 

もうずっと、スイッチがONの状態です。

 

休んではいられない。全部自分でやると決めたことだから。どれか一つを怠るなんて考えられない。全力疾走!という意気込みで走っていきました。

 

体育会系的発想。

 

当時は乗り越えれていたんです。

毎日何かしらの書類仕事に追われ、正解もわからない高専祭の準備に、当時はただ、自分にできる最大限のことを尽くしていっていました。

 

 

高専生の4年に、夏休みなど存在しない。」

そう言い聞かせて。

 

 

同級生がバイトとか、ユニバに行って青春している間、私は無賃で終わることないタスクをただひたすらこなしていました。

 

 

今考えたら夜の22時から会議してるの、今の自分から考えたら絶対無理。寝たい。

高専祭の仕事をして、朝は早く起きてお弁当つくって家事して、学校行って勉強したりして。

当時の私のスケジュール帳は本当に役割をまっとうしていて、

授業中も高専祭のことをずっと考えていて、ノートと教科書を開きながら、横でスケジュール帳に今後の構想や計画を書き出したり、今後のスケジュール管理をしていました。真っ黒。

 

 

 

 

高専祭もチームワークが大事なわけで、毎日どの部署が何をしていたのか、を把握する必要がありまして、

 

そんな日々の話し合いでよくあった、「任せる」という言葉。

そりゃ委員長なわけで、当然任せられることは多い。

私は結構この言葉を気に入っていて、任せるわ。と言われたら単純に、自分に任せられている!頑張らなきゃ!期待にそわなきゃ!きらわれたくない!という社畜たましいで全部請け負っていました。

 

でもだんだんその言葉は重く、つらいものになっていって、

次第に仲間からは、「やっておいて」という軽い任せ方になり、

いつも通りの、それやっておいて、についに限界が来てしまった。

 

 

メンタルがオーバーしたのである。

 

 

いっぱいすぎて、どうしようもない、でもどうにもならない、時間は迫ってくる。

自分がやらなきゃ。任されたんだから、、

 

 

 

 

気が付いたら授業をさぼって、担任の研究室の前で泣いていた。

 

これが過労の代償であったことに1年たってやっと気づいた。

遅すぎる。

 

 

 

 

当時はなんとも思っていなかったのですが、ブラっく企業なみの働きでした。

もちろんそんな決して、自分が完璧にできていたかといわれるとそうでもなく、

多方面で無能扱いされていました。ついったのお気持ち表明ではいつもぼこぼこにされていました。

 

 

正解のない中で、完璧なんてむずかしいんですよ。

お気持ち表明している人も、自分の中の正解を私たち他人に投げ飛ばしているだけで、実際、同じ立場になったら正解になるわけでなくて、違う正解の人と、また争うことになる。

 

 

参考になる意見もちらほらありましたが、大体は他人をみくだすことで自分を保っている人の意見だらけで、かわいそうでした。

 

 

参考になる一部の意見を見るために、ネットサーフィンをしていたのは間違っていた、と今では思いますね。

いまもそのネットでいわれた無能的発言、つまらない、意味がない、、、その他いろいろのお気持ちが、背負っていたじぶんの心にずっと残っています。

 

 

ま、お気持ち表明っていうほうにも権利はあるもんなので、見た自分が悪かったんだな、と深く反省しております。

 

 

 

話が飛びましたが、いよいよ高専祭。

不安しかなかったけど、何とか当日、乗り切る。

当日の記憶はほとんどない、っていうか、当日は委員長は何もしなくていいんです。

どこかでトラブルが起こらないかを見ているだけ。

配信トラブルとか、HPの不具合とか、

色々あったけど、それは私の力ではどうにもならないから、スルー。

技術的な要因が大きいのもオンラインでの高専祭の悪いところですね。

 

 

------高専祭は対面でやるに限る。

 

 

 

さてさて、つらい高専祭も無事終え、これでさっぱりリフレッシュ!と言ったらそうもいかないんです。

来年の方に向けた「引継ぎ」という作業が残っています。

 

 

引継ぎは反省会という名で、毎月やったこととか今後どうする方がいいのか、反省点とかを各部署まとめて、担当の先生がたと後輩たちに向けて発表します。

 

 

もうこのころには早く高専祭から逃げ出したいという一心で、

最後のひと踏ん張りだ、と言い聞かせて、心身精神よれよれでむかいました。

 

 

 

ーここで何事もなければよかったんですけど。

 

 

 

とある部署の反省の中に、後輩や、先生のいる前で、私に対する不満をつらつら言う人がいたんですよ。

この人のせいで出来なかった、みたいな言い方をする人が。

 

 

ならその時いえや!みたいに突っ込みたかったんですが、

そんな元気もなく、

 

 

今言うことじゃなくない?

 

 

みたいな軽い言い方しかできませんでした。

もうぼろぼろに折れた心はこの最後の打撃で、完全破壊されてしまった気がします。

 

 

その後後輩から恒例の色紙を頂いて、私は逃げるようにその場をさりました。

 

 

色紙に書いてあった副委員長の言葉には少し、救われましたね。

「部長陣からの圧怖かったですね。お疲れ様です。」、と

見てくれているひともいるんだな、と。

 

 

 

さてここで、いったんは終了いたしました。

 

 

心はほろほろになり、努力に見合った大した達成感もないまま、すべてが終了しました。

 

心のほろほろは、終わったからと言って回復するわけではありません。

 

 

 

 

ずっと微熱のような感覚が続くんです。そして慢性的な胃痛。

あと無性にいらいらする。

全てのことにいらつく。相手の行動にも自分の行動にも。

 

周りのみんなごめんね。

 

ここから私はどんどん私じゃなくなっていく気がしました。

 

 

 

 

 

5年5月。

専攻科の推薦のために、過去を振り返らなくてはいけませんでした。

 

:<[学生生活で力をいれて取り組んだことは何ですか?]

 

よくあるこの質問だ。

もちろん自分は高専祭、、

と言おうとしたのですが、言葉に出ない。

言おうとすると出てくるのは言葉ではなく涙。

 

 

あれ。なんで泣いているんだろう。

 

 

振り返れば振り返るほど、もっとできたはず、ここはこうすべきだった、という自分の中の声が聞こえ、

さらには当時いわれていた仲間からの圧、民衆からの言葉が見えない恐怖が、靄となって襲ってくるのです。

頭の中がそれで支配されそうでした。

 

 

結局、推薦本番では

力を入れて取り組んだことは勉強です~

なんて軽い言葉で終わらせて、とりあえず乗りきった。受かった。よかった?

 

 

 

しかし、一度思い出してしまったものは簡単には引き下がってくれない。

 

 

 

当時の日記にはこう書かれていた。

 

「つらかった。かなしかった。誰も助けてくれなかった。私は何のためにこんなに頑張ってきたのか。自分がそれに無駄に費やした時間に対する怒り。群衆から浴びさせられた罵声による恐怖、仲間と思っていた人からの裏切り、それらの感情が一気に戻ってきて涙が止まらなくなる。」

 

 

引きずるものは大きくなっていた。

 

 

 

このころには研究も本格的に始まっており、

なんでやってないの?同期の○○のが成績低いのに研究は優秀だよ?いったよね?何を軸に生きているの?

と、どんどん担当教員から圧がかかっていました。

 

 

自分のは新規テーマのため、ゼロから自分で考えなきゃいけなかった。

何をどこから始めていいかわからない。誰も教えてくれない。

やったら違うといわれる。なんでやったの?と尋問される。

 

 

そのころのこころはすでに破壊済だったので、もう何かを考える余裕なんてなかった。完全にオフで馬鹿なのである。

 

 

 

さらにこうやって自分が無力だとか否定され続けると高専祭のころを思い出して、

ああ、あんなに頑張ったのに。全部無駄だったんだ。私が何をやっても意味がない。

という思考が頭を食べられてきました。

 

 

『嘘つき。無能。つまらない。』

 

 

誰かが言ったその言葉が、永遠に頭の中でループする。

何気ない誰かの一言、行動、すべてが過去に結びついて、涙が出てくる。

 

一人でいるとき、授業中、。考える暇を与えたらすぐに思考を取られる。

 

人前にいると仮面をかぶって笑顔になれるのに。

 

 

ずっとしんどくって、ずっと涙が止まらなくて、

負のサイクルから抜け出せないような。

 

 

その負の感情のせいで、学校も休みがちになっていた。

 

 

 

 

瀕死の5年生7月。

 

ディスカッションの際に担当教員と話したときに、

「今週は、体調が悪くて休んでて、、ほとんどできてないんですが、、」

とわずかな体力を絞ってだしたデータを見せながら言うと、

 

 

「え。聞いてないんだけど。」

 

 

と少し怒り気味に言われました。

 

確かにうちの研究室のルールでは休むときは教員に伝えなければいけない。

だけど、体調不良でもう死にそうな私にはそんな報告する気力もなかった。

かつ、体調不良で休んでいた人に対する第一声が心配するような声じゃなく、切れ気味に言われたことに対して、私のメンタルは再崩壊し、

 

 

この人は、、敵!

 

 

脳がそう認識してしまった。

認識してしまったものはしょうがない。

 

 

心の中の闇がさらに違う闇を引きだす。

悪循環は止まることを知らなかった。

 

 

 

................................

 

8月。

 

そんな心身の体調不良が続いた結果、免疫が弱くなったのか、流行りの病に感染した。

ちょうど都合がよかった。

テストも終わって、中間発表前で、何もしなくていい。担当教員と話さなくていい。おこられない。よい。

39℃の熱はさすがにしんどかったけど。

 

そのままフェードアウトした。

 

8月中はもう実家に引きこもろう。と。

好きなことをしてリフレッシュしよう。

 

無断で、ずっと休んだ。

 

自分も悪かったと思う。

 

好きなことを1ヶ月もしたらさすがに治ると思っていたが、

いくら逃げていようが、実質的には何も変わっていないことに気づいたのである。

帰ったら研究が待っている。

 

8月中も担当教員から、「休みは終わりましたよ(お盆のこと)休むときは前もって連絡ください」的な、感じでメールが届く。

(もちろん返信はしていない)

そんなこんなで

全く忘れておうちでリフレッシュ☆なんてことはできませんでした。

 

 

罪悪感だけが、どんどん蓄積されていく。

 

 

この時期が一番休学を考えていた時期。

もう何もできない。何しても怒られる。なにしても自分はできない、

という認知のゆがみにより、本当に何もできなくなっていたんです。

 

 

ーーああ、もう、むり。

 

 

 

9月。

やっと担当教員に体調がずっと著しくない、研究室にいけないということを伝えられた。

本質的なことは伝えていないが、少しは理解をしていただき、

なんとか研究は再開することができた。

 

 

しかし、状況は変わらなかった。

身体の不調は止まらないのである。

二日に一回は一人になって泣き、頭の中を悪い言葉が駆け巡ることで、思考が押しつぶされそうだった。

 

 

耳をふさいでどうにかしてそいつらを消そうとした。

 

消えてくれなかった。

 

いつ日かそいつらは発作のように襲ってきて、

動悸がしたり息が上がる。不安が押し寄せてくる。

 

誰とも話したくないけど、一人になると、頭ん中の闇に支配される。

逃げることのできない、自分との生活を日々送っていた。

 

 

何度も何度も殺してほしいと願った。

自分自身ではなく、自分の過去をである。

 

 

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10月。

 

わかれる。

自分と自分じゃないやつと。10/11

 

 

どこへ逃げても自分からは逃げ出せない。

不安がざわざわする。10/13

 

 

担当教員の授業中、ペンが握れなくなる。好きなことまで奪う霧。10/17

 

 

つらい、つらくてしょうがない。

休んでも怒られるし、休まなかったら、命削るし、10/23

 

 

10/30

うるさい。

 

 

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「休みなしで、心の暗闇に住み着いた想像上の他人が私を責め立てる。

”その場”は取り繕えても、”心の世界”は取り繕えないから、過去に取り繕ったことで作ったカルマが現在まで追いかけてくる。時がたつにつれ、「過去のカルマ」はドンドン増えていく。」

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11月。

また高専祭があった。

どうやらなんか運営が大変そうだった。助けてあげれなくて、ごめんよ。

さすがにもう耐えきれなくなって、昨年高専祭の担当をしてくださった先生に相談に行った。というか、限界だった。

 

やっと。1年前から思っていたことが、少し、吐けて。少し。楽になった。

ただ認めてほしかっただけ、という

愚かな承認欲求もあったのかもしれない。

 

 

12月

相談をきっかけに、好きなことをすることにした。

絵を描く。字を描く。

ずっと1年間続けてきたことを、ちょっと本格的にやってみたりした。

自分を表現できるのってたのしい。

これだ、って思えて、1年ぶりに私が帰ってきた感覚があった。

 

人間環境学で、ゲームを作った。制作の授業は楽しい。

思ったことができないときが、少し悔しいけれど。

 

 

1月

いい時は一瞬のようだ。

お正月は楽しい気分で過ごせてよかった。

 

 

そう。また、なにかが帰ってきた。

普通にテスト勉強をしようと思って、

1つわからないところがあった。

 

わからないなら、ちゃんと勉強して、やればいいのに、

 

彼は言う。

 

『意味がない。お前はどうせできない。できないんだよ』

 

もちろん、ほんとに言われているわけではない。

私の頭の中の感情の一つであるのはわかっているんだけど、

 

どうもうるさい。

 

これがまた、わからないところがなくならないと、消えてくれないのである。厄介。

地獄のような勉強。

今まで脳筋でやってきた勉強とは全く違うつらさ。がむしゃらに何教科もやっていた時のほうが何倍も楽しい。(3教科しかないのに

 

マルチタスクが長所だったのに今や一つのこともまともにできない弱さ。

 

 

また、暗闇が始まる音がする。

 

 

2月

卒業論文の提出である。

最後に慌てるのは嫌いなので、結構余裕をもって提出した。少しは褒めてほしい。

一番大事なデータがないといわれた。

けどそのデータを出すのにはとてつもない時間と労力とエネルギーを必要とするから、今の私には到底できるわけない。

しかも前回、一度大量にやって、大失敗したデータだ。

失敗したデータをもう一度やろうなんて、彼らがなんていうか。

また、頭の中で騒がれるに違いない。うるさい。

だったらやらない方がましなのである。

そんなことしてると、現実で教員から怒られるだけなのだが。

 

 

ーーーーーーーーーー

最近、考えがまとまらない。

私の考えと彼らの考え、どちらを優先したらいいかわからない。

私の考えを押そうとすると、彼らは私を苦しめる。仕方なく従うしかない。

たまに自分の考えを押そうとして頑張ってみると、

失敗した、責められた過去を見せてくる。

そうすると発作のように涙があふれてきてとまらない。

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お金は大事だから、働かなくちゃいけない。

でも、頭で怒られる。

いけない。

さすがに、まずいとは思っているけれど、どうしたらいいのかわからない。

涙があふれてくる。

誰にも相談できない。誰も信用できない。誰にも迷惑がかけられない。

 

 

来年度から、専攻科に行くが、高専祭時代の人と授業を受けなきゃいけない。一部。

向こうが勿論何も思ってないのは知っている。

だけど引き出しを引っ張るにはいい材料である。

思い込みだよ。

思い込ませているのはあなたでしょう。

 

意味が分からない。わかって。無理だね。

消えてないじゃん。だれがいつ消したってできないのは自分だろ。それを言い訳に使わないでほしい。でも実際君がいるじゃん。いつだっていたよ。認識が強くなっただけでしょ。地元飛び出してきた時だって、愛に殺された時だって、寮を抜け出した時だって、いつでも。そう思えばそうね。逃げてばっかじゃん。私の人生。逃げる能力だけはよかったな。けど専攻科行くのは間違いだったんじゃ?それがわかんないいんだよね。たぶんなにしてもうまくいかない。ほらまたそういう。君のせいでしょ。今はいるだけだよ。何も見せてない。じゃあ、君の蓄積。

 

 

 

 

 

認知がゆがんでいるのか、私がゆがんでいるのか、はたまた世間がゆがんでいるのか。

 

多分、周りからすると馬鹿みたいだけど、

これが、私だ。

 

 

誰にも伝えられないこの現状が、強く私を苦しめる。

 

 

 

ここまで書くのにも思い出しては泣き、キリキリの胃の痛みに耐えて、

なんとか自分の中を言語化することができました。

 

 

 

自らの忽せ。

ここから先、どうなるかが見ものですね。

 

 

 

 

通常営業に戻りたいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年やりたいこと

1月1日になった瞬間に「あけましておめでとう」とスタンプや文章など送ってくる人っていますよね。

私にまで送ってくれる人、暇なんでしょうか。それとも一斉送信機能かなんか使って送っているのでしょうか。おまめですね。

 

さてさて

おくさんの備忘録ということで、2022年やりたいことでもまとめておきます。

特に絶対やるってわけではないですが、できたらいいな~となんとも30%ぐらいの気力です。

 

1. ブログの毎月更新

昨年奈良高専のAdventCalendarに参加させていただいて、他の人の投稿とかをみて、発信や言語化する能力って大切だな、と思ったわけです。

まだ思ったことてらてらかくことしかできませんが、いつか人に伝えられる文章が書けるようになりたいと思います。

 

あと、言葉にしなかった感情や思想っていつか忘れていっちゃうからね。今しか感じられないものを備忘録に収めておかないと、

 

よって毎月12日にこのブログの更新をしようと思う。多分。

もしかしたらこの投稿が最後かも...

 

2. バイト先を見つける

せっかく寮を抜け出したのにバイトしないなんてもったいない!あと普通にお金ない!

いままでは長期休みなど、地元に帰ったときにだけラーメン屋と中華屋でバイトしていたんですが、研究もはじまり、帰省する時間も短くなったので、こっち(大和郡山)でバイトしなきゃなあって感じです。

 

ラーメン湯切りできます!中華鍋振れます!仕事ありませんか!

 

それにしても奈良時給安い。

 

3. 料理スキルの向上

ありきたりですが、せっかく毎日料理できる環境にいさせてもらっている以上、向上はしていかなければなりません。

いつかだれかにひろってもらえる可能性も信じて、身につけれるものは身に着けておきたい。

向上といっても前述お金はないので、いかに安く!おいしく!簡単に!

 

下味冷凍や作り置きにより、食の質を高め、成長期(?)の同居人に大きくなってもらいます。

 

4. 外見の向上

なんと今年20歳になり、2023には成人式なるものに行かなくてはいけないそうだ。

その時に、「○○ってわからなかった~雰囲気変わったね~」といわれたい。

そのためには、メイクの研究、筋トレといった外見の向上をしなければならない。

どうせ一瞬しか会わないんだから中身の向上はおいおいで、、

 

5. タイポグラフィ

いわゆる作字である。字をアレンジしてロゴっぽくするアートのことである。

昨年から少しずつハマりだして、1日1つ、作字をしよう(できるだけ)と現在もこつこつやっている。

アナログ描きでいまこんな感じ↓。

 

 

 

 

 

バイトしてお金貯まったらiPad買って、デジタルで作字するんだもん、!!

 

 

 

とりあえずやりたいことはこのくらい。

半分達成できたらいい方。

 

あと1年を通しての目標は

平穏

です。

昨年バタバタしすぎて、メンタルやられまくったので、今年は平穏に生きて、ゆっくり回復出来たらなと思います。

 

 

 

ではでは、サラダバー。またできたら来月。

 

 

 

 

追記:2022.11.1

公開を忘れていました。

半分は達成できたと思います。

 

 

脱寮!女子高専生のふたりぐらし!

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この記事は奈良高専Advent Calendar12日目の記事です。

前日のしゅがーくん、繋ぎありがとう!

 

 

はじめに

カンガルーの前足から飛び立ち、はや4年。

金魚の町に降り立ち、はや4年。

 

はじめまして。4年物質化学工学科の奥と申します。友達が参加していたのをみてノリで参加してしまいました。

今年度の高専祭実行委員長をしていたので、はじめは高専祭運営のことを書こうと思っていたのですが、思い出すだけでストレスが溜まりそうだったので諦めました。

同運営者高専祭のことについて20日に記事を出してくださるので、高専祭運営について気になる方はそちらをご覧ください。

 

 

さてさてさt...

タイトルにもある通り、現在高専の寮を退寮し、同じく退寮した後輩とふたり暮らしをしています。

「脱寮」というのは監獄のような寮から退寮し、抜け出すこと(寮脱獄)の略称でありますね。造語です。

 

高専本科生で下宿生っていうのも珍しいと思いますし(今年から結構増えた気がする)、2人での下宿ってのも珍しいと思うので、ふたり暮らしってどんな感じなのかなと気になっている方や、近々寮を抜け出したい、という方に読んでいただけたらなと思います。

 

1.ふたり暮らしのメリット・デメリット

【メリット】

・家事が分担できる

・生活費を折半できる

・親が安心してくれる(女子だから尚更)

・さみしくない(同居人談)

 

【デメリット】

・気遣いが必要(親しき仲にも礼儀あり)

・人を呼ぶときは同居人の許可取りが必要

・料理にはある程度のクオリティが必要

 

あくまでこれはひとり暮らしとふたり暮らしを比較したメリット・デメリットなので、寮生活と下宿生活を比較したときとは、また違ったものになりますね。

 

 

 

ハイ次!

2. 退寮の経緯

きっかけは2020年の夏。コロナで寮の規則が厳しくなったことです。

例を挙げると、部屋移動*1が全面禁止されたり、門限が20時になったり、寮食の時間が指定されたり、、、と。

特に部屋移動禁止は、仲が良い私たちにとっては大打撃。

実際はコソコソ部屋移動をしていたものの、人が通る度に気配を消したり、寮の方が訪ねてくる度に机の下に隠れたり、、などとなかなか窮屈なものでした。

 

―そこで、2021年3月。退寮を決意。

 

まずは双方の家族と仲良くなることから始めました。

実家にいってご挨拶したり、ご家族の方と一緒にお食事したりして、信頼と実績を獲得。(結婚やん)

また驚くことに、たまたま私の両親と同居人の父が同じ大学の同期だったということもあり、お話はとてもスムーズにとんとんとんと進むことができました。

 

 

2021年8月。

コロナの第n波により、夏休みの予定が激減。

暇になった時間を利用し、後輩s'father を連れて不動産を訪れることに(未成年だから保護者必須)

気になる物件を3.4軒ほど回り、私たちの拠点を手に入れました。

 

2021年9月。

拠点ば決まれざ、いざ脱寮。

寮務に連絡をして、、退寮願を出して、、部屋から荷物をすべて持ち出して、、、

 

 

>  脱寮完了!!  <

 

 

3. 住まい探し

私たちが入居に求めた条件は以下の3つであります。

 

・2DK以上(各々のプライベートは守りたいため)

・通学に15分以内(体力へのへのなので)

・2階以上(親の要望)

 


これにできればスーパーが近ければな、とか虫がいないところがいいな、とかありましたが大まかにはこんな感じです。家賃に関しては、寮にいた時と変わらない金額で生活できるくらいの家賃(4~6万)を考えていました。

 

まずはネットで下調べをし(おすすめはSUUMOとHomesの地図から検索)、いくつか目星をつけてから不動産屋さんに向かいました。

めぼしい物件を実際に内見し、最終的に学校まで自転車で15分程度の3DKの物件を契約。近い!広い!

 

〇契約について

契約者を1人たて、保証人に両家の親をとる形にしました。

内見時に住民票や印鑑、身分証明をもっていったため、その日に部屋止めをし、入居審査へ。

2人での入居ということもあり、この時に断られる可能性もあったのですが、無事乗り切れました。

 

敷金・礼金が0円で、仲介手数料や住宅保険、カギ交換代などを含めて、初期費用は182,600円でした。(1ヶ月分の家賃も含まれているため、実際は13万くらい)2人なので1人91,300円お支払いしました。

 

 

その後、電気や水道会社との契約、住所変更、免許書の書き換えなど諸々の手続きを行い、いざ入居ッ!

 

 

4. お金のこと

脱寮したい人が1番気になる $お・か・ね$  の話。

以下の表にまとめたので見ていただきたい。

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やはり寮の1番の利点といえば、その家賃(部屋代)の安さ。

今の拠点が42000円/月なのに対し、1600円/月でお部屋に住める(2人での場合、1人だと800円)。ただし、寮のお部屋の広さは約2.5畳。狭くても寝れるなら十分だ!という方にはいいが、筋トレしたりモノをいっぱい置いたりするにはちょっと足りない、だいぶ足りない。

 

次に見てもらいたいのが、食費。

その差は歴然。

ふたり暮らしだと週末にまとめ買いして3000円いかないくらいなので、1ヶ月では約1万円。少

さて、寮食費はというと、二人分で54460円/月。

しかも寮食費は年間で払っているのを12で割っているだけなので、寮食を食べていない長期休暇分も含まれています。だから実際、長期休暇分の3ヶ月分がなしとすると、÷9で月二人で72613円、一人36303円/月、、、お高い、、、

2年前までは日曜日の寮食がお休みだったのもあり、一人30000円/月ほどだったのです。ですが、食中毒事件の影響で、日曜も寮食を提供するようになり結果として人件費諸々でお値段がさらに上がっちゃった感じですね。

少食の私たちにとって、高い寮食費を払うということは、いっぱい食べるラグビー部や育ち盛りの男の子たちを養っているのと同じことなのです。

つまり私たちのお金で彼らは生きている(かもしれない)。

 

寮の食事自体はまあ普通においしい。ただ揚げ物が多いのがしんどい、

朝からカキフライとか、お昼にハムカツ丼・かき揚げ丼・味噌カツ丼、、夜は揚げチーズカツ・白身魚のフライ、、  一口目はおいしいんだけどね。

 

 

そんなこんなで合計は実はふたり暮らしのがお安くなったんです。ちょっとだけ。

急な支出とかで(みりん切れたとか米無くなったとか)食費が変動して超えることもありますが、そんな変わらない金額でQOL爆上がるなら抜け出した方がよくね?って感じでした。

育ち盛りの子は寮に残っていっぱい食べることをお勧めしませう。

 

また嬉しいことに、両家族からいろいろ送られてきたり、お友達がみかんもってきてくれたり、トマト買ってきてくれたり、などなどしてくださるおかげで食事はだいぶ潤っています。ふたりなので送られてくる量も2倍で嬉しい。

 

 

支出の部分をお話ししたので、次は収入の話。

現在はすべて親からの仕送りで生活させてもらっています。もともと寮に支払っていた分を双方の親から頂く、という形をとっています。

寮を抜け出したことにより、バイトもできるようになったので、少しでも親の負担が減らせたらなと思います。あと、稼いだお金でさらなるQOL向上をしたい。バイト先どこにしよう。

 

頂いたお金は二人の共通口座にいれています。

口座をつくるとPayPayとかにも登録できて、カードを持っていなくてもお出かけの帰りとかに切れてた食パン買ってきたーとかできるから便利です。

 

 

 

 

はいラスト。

5. 実際の生活

よく聞かれるのが喧嘩とかしないのー? です。

 

....しない!!

 

元々寮生で部屋も3年間隣で、半同居状態だったので気心が知れているよねってことです。

家での役割に関しても、私が洗濯・弁当作り、後輩が洗い物、と決まっているだけで他はなあなあにしています。気づいた人が気づいた時にやる精神。

意外にこれで生活できてます。先輩後輩の関係であることからも、ちゃんとしなきゃな、とか やっておかなきゃな、という精神が働いているのでしょう。

これも "寮生活" という名の監獄前置き生活があったおかげでしょう。いきなりそこら辺の友達や後輩と二人暮らししたら、なんでやってくれないんだよ、とか イライラがたまって喧嘩が起こってくるのかな、と思いました。

寮はふたり暮らしのプレ期間にぴったりであった。

 

 

まとめ

なんやかんや3000文字を超えてしまった。ここまで読んでくださった方ありがとうございます。

結論、ふたり暮らしいいぞ。ってことです。

今寮生の方で、こいつとなら一緒にやっていけるわ、と思っている方がいたらぜひこのブログを参考にして脱寮を企ててみてくださいね。

 

れっつ脱寮。

 

 

 

 

明日はあおんさんです!とっても気になりますね。楽しみです。

 

adventar.org

 

 

 

 

 

 

 

*1:他人の部屋に入ること