頑張りの空回り。下降編

前置き:特に何のまとめもせず、自分の感情綴ってるのでつまらないです。誰かに知ってもらいたかっただけです。

 

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秋です。

 

朝はメロンソーダのような冷たさで

昼間の日差しは痛すぎて

クッキーになれそうな気分です。

 

 

 

 

秋といえば、スポーツの秋ですね。

先日スポーツ大会が1年ぶりに開催されました。

5年生のみんなで出来る最後のスポ大だったので、無事開催されてよかった。

運営の皆さんありがとうございました。

 

 

運営、といえば、

 

 

ここ

高専は4年生が幹部となって学校行事や部活動を運営することがほとんどです。

5年は関わると老害とされ、嫌われる傾向にあると自分では思っています。

 

 

かく私も昨年は4年生で幹部にあたる年でした。

 

 

 

 

そこで私は大きく二つの仕事を持っていました。

 

一つ、部活でのコンテデザイナー。

そしてもう一つ、高専祭の実行委員長、です。

 

この二つは幹部系の中でも結構ハードな方だと自分では思っていて、特に高専祭は学校のみんなが楽しめてはっちゃけれる場なので、大きな責任がかかっていました。

 

 

 

まずは、コンテデザイナーの方からお話ししてみましょう。

 

コンテデザイナーといわれてもどの部活のなんだらって感じですね。

コンテデザイナーというのは、吹奏楽部でマーチングをやる際に、その立ち位置(動き?)とか演出をきめる役職のことです。

 

 

1Moveごと、上から見たときの形や動きのきれいさを考えながら、人の位置を決め、コンテと呼ばれるシートに書いていきます。

 

これがなかなか重労働。

 

 

まず曲を聴きこまなくてはいけない。じゃないと曲にあったコンテはかけないから。

 

そしてもう一つ、私はマーチングのド素人だった。

一応4年生の時点では、入部4年目ですが、コロナのせいで3年の時はほぼやれていないので、実際はマーチングは2年間しかやれておりません。

なのでマーチングコンテの右しかわからない状況。

 

 

でもマーチングが好き、という想いは結構あったので、コンテデザイナーという役職はチャレンジしてみるのにとっても良いものでした。

 

 

3年の三月、ちょうどコロナさんがやってきたころですね。

私は春休み2か月を返上して、死に物狂いでコンテを書いては消し、書いては捨て、書いて監督に見せれば没にされ、という生活をしていました。

 

今考えるとバイトの時間以外は高専祭のことかマーチングのことしか考えていなかったです。あのとき。こわいね。

 

 

そしてなんやかんや、与えられた曲分のコンテはほとんど完成したんです。

 

 

<((((((((辛かったー!))))))))

 

 

辛い中完成されたコンテはもうわが子のようにいとおしくて、早く私の、この作品の未完成が、人が歩くことによって完成される作品になることをみたい!そう思っていたんです。

 

はい。

 

コロナさんです。

 

よく考えてみたらできるわけないんですよ。ころなころなで騒いでる中、マスクをつけずに息を入れながら吹き歩くマーチングなんて。

 

 

亡くなりました。我がコンテ。

 

 

美術作品と違って、採用されなかったらツイッターにでも貼って供養供養~♪というわけにはいかないんです。

 

コンテはあくまでマーチングにおいての序章。

完成までの過程に過ぎないのです。

 

 

なので民衆に見てもらったところで、何の動きも、音も感じられない無機質なコンテは、供養されることはできないのです。

 

 

屍。

 

 

誰にも評価されないまま、だれにも見てもらえないまま、誰の心にも残らないまま、

私の作品は消えていきました。

 

 

 

あーあ。

 

 

 

 

 

さて、当時の私は止まることを知らなかったので、コンテの一つや二つ、ぶち消されたってしょげている暇なんてありません。

 

高専祭はもちろん、インターンや免許合宿に向けた準備など、並行していろいろなことを進めていました。また学業においても上位を保ち続けることで、自分をどんどん追い込んでいっていました。

 

 

 

なんやかんや乗り越えて、4年生8月になりました。

夏はインターンに免許合宿(ぼっち)、定期演奏会の準備(ころなで中止になった)に加え、

コロナ禍で嫌気がさした寮とおさらばするため、物件探し、引っ越し準備などをごりごり進めていました。

 

もうずっと、スイッチがONの状態です。

 

休んではいられない。全部自分でやると決めたことだから。どれか一つを怠るなんて考えられない。全力疾走!という意気込みで走っていきました。

 

体育会系的発想。

 

当時は乗り越えれていたんです。

毎日何かしらの書類仕事に追われ、正解もわからない高専祭の準備に、当時はただ、自分にできる最大限のことを尽くしていっていました。

 

 

高専生の4年に、夏休みなど存在しない。」

そう言い聞かせて。

 

 

同級生がバイトとか、ユニバに行って青春している間、私は無賃で終わることないタスクをただひたすらこなしていました。

 

 

今考えたら夜の22時から会議してるの、今の自分から考えたら絶対無理。寝たい。

高専祭の仕事をして、朝は早く起きてお弁当つくって家事して、学校行って勉強したりして。

当時の私のスケジュール帳は本当に役割をまっとうしていて、

授業中も高専祭のことをずっと考えていて、ノートと教科書を開きながら、横でスケジュール帳に今後の構想や計画を書き出したり、今後のスケジュール管理をしていました。真っ黒。

 

 

 

 

高専祭もチームワークが大事なわけで、毎日どの部署が何をしていたのか、を把握する必要がありまして、

 

そんな日々の話し合いでよくあった、「任せる」という言葉。

そりゃ委員長なわけで、当然任せられることは多い。

私は結構この言葉を気に入っていて、任せるわ。と言われたら単純に、自分に任せられている!頑張らなきゃ!期待にそわなきゃ!きらわれたくない!という社畜たましいで全部請け負っていました。

 

でもだんだんその言葉は重く、つらいものになっていって、

次第に仲間からは、「やっておいて」という軽い任せ方になり、

いつも通りの、それやっておいて、についに限界が来てしまった。

 

 

メンタルがオーバーしたのである。

 

 

いっぱいすぎて、どうしようもない、でもどうにもならない、時間は迫ってくる。

自分がやらなきゃ。任されたんだから、、

 

 

 

 

気が付いたら授業をさぼって、担任の研究室の前で泣いていた。

 

これが過労の代償であったことに1年たってやっと気づいた。

遅すぎる。

 

 

 

 

当時はなんとも思っていなかったのですが、ブラっく企業なみの働きでした。

もちろんそんな決して、自分が完璧にできていたかといわれるとそうでもなく、

多方面で無能扱いされていました。ついったのお気持ち表明ではいつもぼこぼこにされていました。

 

 

正解のない中で、完璧なんてむずかしいんですよ。

お気持ち表明している人も、自分の中の正解を私たち他人に投げ飛ばしているだけで、実際、同じ立場になったら正解になるわけでなくて、違う正解の人と、また争うことになる。

 

 

参考になる意見もちらほらありましたが、大体は他人をみくだすことで自分を保っている人の意見だらけで、かわいそうでした。

 

 

参考になる一部の意見を見るために、ネットサーフィンをしていたのは間違っていた、と今では思いますね。

いまもそのネットでいわれた無能的発言、つまらない、意味がない、、、その他いろいろのお気持ちが、背負っていたじぶんの心にずっと残っています。

 

 

ま、お気持ち表明っていうほうにも権利はあるもんなので、見た自分が悪かったんだな、と深く反省しております。

 

 

 

話が飛びましたが、いよいよ高専祭。

不安しかなかったけど、何とか当日、乗り切る。

当日の記憶はほとんどない、っていうか、当日は委員長は何もしなくていいんです。

どこかでトラブルが起こらないかを見ているだけ。

配信トラブルとか、HPの不具合とか、

色々あったけど、それは私の力ではどうにもならないから、スルー。

技術的な要因が大きいのもオンラインでの高専祭の悪いところですね。

 

 

------高専祭は対面でやるに限る。

 

 

 

さてさて、つらい高専祭も無事終え、これでさっぱりリフレッシュ!と言ったらそうもいかないんです。

来年の方に向けた「引継ぎ」という作業が残っています。

 

 

引継ぎは反省会という名で、毎月やったこととか今後どうする方がいいのか、反省点とかを各部署まとめて、担当の先生がたと後輩たちに向けて発表します。

 

 

もうこのころには早く高専祭から逃げ出したいという一心で、

最後のひと踏ん張りだ、と言い聞かせて、心身精神よれよれでむかいました。

 

 

 

ーここで何事もなければよかったんですけど。

 

 

 

とある部署の反省の中に、後輩や、先生のいる前で、私に対する不満をつらつら言う人がいたんですよ。

この人のせいで出来なかった、みたいな言い方をする人が。

 

 

ならその時いえや!みたいに突っ込みたかったんですが、

そんな元気もなく、

 

 

今言うことじゃなくない?

 

 

みたいな軽い言い方しかできませんでした。

もうぼろぼろに折れた心はこの最後の打撃で、完全破壊されてしまった気がします。

 

 

その後後輩から恒例の色紙を頂いて、私は逃げるようにその場をさりました。

 

 

色紙に書いてあった副委員長の言葉には少し、救われましたね。

「部長陣からの圧怖かったですね。お疲れ様です。」、と

見てくれているひともいるんだな、と。

 

 

 

さてここで、いったんは終了いたしました。

 

 

心はほろほろになり、努力に見合った大した達成感もないまま、すべてが終了しました。

 

心のほろほろは、終わったからと言って回復するわけではありません。

 

 

 

 

ずっと微熱のような感覚が続くんです。そして慢性的な胃痛。

あと無性にいらいらする。

全てのことにいらつく。相手の行動にも自分の行動にも。

 

周りのみんなごめんね。

 

ここから私はどんどん私じゃなくなっていく気がしました。

 

 

 

 

 

5年5月。

専攻科の推薦のために、過去を振り返らなくてはいけませんでした。

 

:<[学生生活で力をいれて取り組んだことは何ですか?]

 

よくあるこの質問だ。

もちろん自分は高専祭、、

と言おうとしたのですが、言葉に出ない。

言おうとすると出てくるのは言葉ではなく涙。

 

 

あれ。なんで泣いているんだろう。

 

 

振り返れば振り返るほど、もっとできたはず、ここはこうすべきだった、という自分の中の声が聞こえ、

さらには当時いわれていた仲間からの圧、民衆からの言葉が見えない恐怖が、靄となって襲ってくるのです。

頭の中がそれで支配されそうでした。

 

 

結局、推薦本番では

力を入れて取り組んだことは勉強です~

なんて軽い言葉で終わらせて、とりあえず乗りきった。受かった。よかった?

 

 

 

しかし、一度思い出してしまったものは簡単には引き下がってくれない。

 

 

 

当時の日記にはこう書かれていた。

 

「つらかった。かなしかった。誰も助けてくれなかった。私は何のためにこんなに頑張ってきたのか。自分がそれに無駄に費やした時間に対する怒り。群衆から浴びさせられた罵声による恐怖、仲間と思っていた人からの裏切り、それらの感情が一気に戻ってきて涙が止まらなくなる。」

 

 

引きずるものは大きくなっていた。

 

 

 

このころには研究も本格的に始まっており、

なんでやってないの?同期の○○のが成績低いのに研究は優秀だよ?いったよね?何を軸に生きているの?

と、どんどん担当教員から圧がかかっていました。

 

 

自分のは新規テーマのため、ゼロから自分で考えなきゃいけなかった。

何をどこから始めていいかわからない。誰も教えてくれない。

やったら違うといわれる。なんでやったの?と尋問される。

 

 

そのころのこころはすでに破壊済だったので、もう何かを考える余裕なんてなかった。完全にオフで馬鹿なのである。

 

 

 

さらにこうやって自分が無力だとか否定され続けると高専祭のころを思い出して、

ああ、あんなに頑張ったのに。全部無駄だったんだ。私が何をやっても意味がない。

という思考が頭を食べられてきました。

 

 

『嘘つき。無能。つまらない。』

 

 

誰かが言ったその言葉が、永遠に頭の中でループする。

何気ない誰かの一言、行動、すべてが過去に結びついて、涙が出てくる。

 

一人でいるとき、授業中、。考える暇を与えたらすぐに思考を取られる。

 

人前にいると仮面をかぶって笑顔になれるのに。

 

 

ずっとしんどくって、ずっと涙が止まらなくて、

負のサイクルから抜け出せないような。

 

 

その負の感情のせいで、学校も休みがちになっていた。

 

 

 

 

瀕死の5年生7月。

 

ディスカッションの際に担当教員と話したときに、

「今週は、体調が悪くて休んでて、、ほとんどできてないんですが、、」

とわずかな体力を絞ってだしたデータを見せながら言うと、

 

 

「え。聞いてないんだけど。」

 

 

と少し怒り気味に言われました。

 

確かにうちの研究室のルールでは休むときは教員に伝えなければいけない。

だけど、体調不良でもう死にそうな私にはそんな報告する気力もなかった。

かつ、体調不良で休んでいた人に対する第一声が心配するような声じゃなく、切れ気味に言われたことに対して、私のメンタルは再崩壊し、

 

 

この人は、、敵!

 

 

脳がそう認識してしまった。

認識してしまったものはしょうがない。

 

 

心の中の闇がさらに違う闇を引きだす。

悪循環は止まることを知らなかった。

 

 

 

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8月。

 

そんな心身の体調不良が続いた結果、免疫が弱くなったのか、流行りの病に感染した。

ちょうど都合がよかった。

テストも終わって、中間発表前で、何もしなくていい。担当教員と話さなくていい。おこられない。よい。

39℃の熱はさすがにしんどかったけど。

 

そのままフェードアウトした。

 

8月中はもう実家に引きこもろう。と。

好きなことをしてリフレッシュしよう。

 

無断で、ずっと休んだ。

 

自分も悪かったと思う。

 

好きなことを1ヶ月もしたらさすがに治ると思っていたが、

いくら逃げていようが、実質的には何も変わっていないことに気づいたのである。

帰ったら研究が待っている。

 

8月中も担当教員から、「休みは終わりましたよ(お盆のこと)休むときは前もって連絡ください」的な、感じでメールが届く。

(もちろん返信はしていない)

そんなこんなで

全く忘れておうちでリフレッシュ☆なんてことはできませんでした。

 

 

罪悪感だけが、どんどん蓄積されていく。

 

 

この時期が一番休学を考えていた時期。

もう何もできない。何しても怒られる。なにしても自分はできない、

という認知のゆがみにより、本当に何もできなくなっていたんです。

 

 

ーーああ、もう、むり。

 

 

 

9月。

やっと担当教員に体調がずっと著しくない、研究室にいけないということを伝えられた。

本質的なことは伝えていないが、少しは理解をしていただき、

なんとか研究は再開することができた。

 

 

しかし、状況は変わらなかった。

身体の不調は止まらないのである。

二日に一回は一人になって泣き、頭の中を悪い言葉が駆け巡ることで、思考が押しつぶされそうだった。

 

 

耳をふさいでどうにかしてそいつらを消そうとした。

 

消えてくれなかった。

 

いつ日かそいつらは発作のように襲ってきて、

動悸がしたり息が上がる。不安が押し寄せてくる。

 

誰とも話したくないけど、一人になると、頭ん中の闇に支配される。

逃げることのできない、自分との生活を日々送っていた。

 

 

何度も何度も殺してほしいと願った。

自分自身ではなく、自分の過去をである。

 

 

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10月。

 

わかれる。

自分と自分じゃないやつと。10/11

 

 

どこへ逃げても自分からは逃げ出せない。

不安がざわざわする。10/13

 

 

担当教員の授業中、ペンが握れなくなる。好きなことまで奪う霧。10/17

 

 

つらい、つらくてしょうがない。

休んでも怒られるし、休まなかったら、命削るし、10/23

 

 

10/30

うるさい。

 

 

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「休みなしで、心の暗闇に住み着いた想像上の他人が私を責め立てる。

”その場”は取り繕えても、”心の世界”は取り繕えないから、過去に取り繕ったことで作ったカルマが現在まで追いかけてくる。時がたつにつれ、「過去のカルマ」はドンドン増えていく。」

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11月。

また高専祭があった。

どうやらなんか運営が大変そうだった。助けてあげれなくて、ごめんよ。

さすがにもう耐えきれなくなって、昨年高専祭の担当をしてくださった先生に相談に行った。というか、限界だった。

 

やっと。1年前から思っていたことが、少し、吐けて。少し。楽になった。

ただ認めてほしかっただけ、という

愚かな承認欲求もあったのかもしれない。

 

 

12月

相談をきっかけに、好きなことをすることにした。

絵を描く。字を描く。

ずっと1年間続けてきたことを、ちょっと本格的にやってみたりした。

自分を表現できるのってたのしい。

これだ、って思えて、1年ぶりに私が帰ってきた感覚があった。

 

人間環境学で、ゲームを作った。制作の授業は楽しい。

思ったことができないときが、少し悔しいけれど。

 

 

1月

いい時は一瞬のようだ。

お正月は楽しい気分で過ごせてよかった。

 

 

そう。また、なにかが帰ってきた。

普通にテスト勉強をしようと思って、

1つわからないところがあった。

 

わからないなら、ちゃんと勉強して、やればいいのに、

 

彼は言う。

 

『意味がない。お前はどうせできない。できないんだよ』

 

もちろん、ほんとに言われているわけではない。

私の頭の中の感情の一つであるのはわかっているんだけど、

 

どうもうるさい。

 

これがまた、わからないところがなくならないと、消えてくれないのである。厄介。

地獄のような勉強。

今まで脳筋でやってきた勉強とは全く違うつらさ。がむしゃらに何教科もやっていた時のほうが何倍も楽しい。(3教科しかないのに

 

マルチタスクが長所だったのに今や一つのこともまともにできない弱さ。

 

 

また、暗闇が始まる音がする。

 

 

2月

卒業論文の提出である。

最後に慌てるのは嫌いなので、結構余裕をもって提出した。少しは褒めてほしい。

一番大事なデータがないといわれた。

けどそのデータを出すのにはとてつもない時間と労力とエネルギーを必要とするから、今の私には到底できるわけない。

しかも前回、一度大量にやって、大失敗したデータだ。

失敗したデータをもう一度やろうなんて、彼らがなんていうか。

また、頭の中で騒がれるに違いない。うるさい。

だったらやらない方がましなのである。

そんなことしてると、現実で教員から怒られるだけなのだが。

 

 

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最近、考えがまとまらない。

私の考えと彼らの考え、どちらを優先したらいいかわからない。

私の考えを押そうとすると、彼らは私を苦しめる。仕方なく従うしかない。

たまに自分の考えを押そうとして頑張ってみると、

失敗した、責められた過去を見せてくる。

そうすると発作のように涙があふれてきてとまらない。

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お金は大事だから、働かなくちゃいけない。

でも、頭で怒られる。

いけない。

さすがに、まずいとは思っているけれど、どうしたらいいのかわからない。

涙があふれてくる。

誰にも相談できない。誰も信用できない。誰にも迷惑がかけられない。

 

 

来年度から、専攻科に行くが、高専祭時代の人と授業を受けなきゃいけない。一部。

向こうが勿論何も思ってないのは知っている。

だけど引き出しを引っ張るにはいい材料である。

思い込みだよ。

思い込ませているのはあなたでしょう。

 

意味が分からない。わかって。無理だね。

消えてないじゃん。だれがいつ消したってできないのは自分だろ。それを言い訳に使わないでほしい。でも実際君がいるじゃん。いつだっていたよ。認識が強くなっただけでしょ。地元飛び出してきた時だって、愛に殺された時だって、寮を抜け出した時だって、いつでも。そう思えばそうね。逃げてばっかじゃん。私の人生。逃げる能力だけはよかったな。けど専攻科行くのは間違いだったんじゃ?それがわかんないいんだよね。たぶんなにしてもうまくいかない。ほらまたそういう。君のせいでしょ。今はいるだけだよ。何も見せてない。じゃあ、君の蓄積。

 

 

 

 

 

認知がゆがんでいるのか、私がゆがんでいるのか、はたまた世間がゆがんでいるのか。

 

多分、周りからすると馬鹿みたいだけど、

これが、私だ。

 

 

誰にも伝えられないこの現状が、強く私を苦しめる。

 

 

 

ここまで書くのにも思い出しては泣き、キリキリの胃の痛みに耐えて、

なんとか自分の中を言語化することができました。

 

 

 

自らの忽せ。

ここから先、どうなるかが見ものですね。

 

 

 

 

通常営業に戻りたいです!